小樽のパパの子育て日記

北海道小樽市在住。 趣味 ラグビー、読書、旅行 @otarunopapa

永山則夫の話

市立小樽文学館で開催中の写真展

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写真展のチラシに掲載されていた玉川さんの寄稿文。

久しぶりに、文章そのものに心を揺さぶられた。

 

題材は永山則夫である。

1968年に連続射殺事件を起こし、死刑判決を受けた人物だ。その人生は、貧困、暴力、放浪、犯罪という重い言葉で語られることが多い。しかし玉川さんの文章は、事件や評価を前面に出さない。

代わりに「風景」を語る。

網走、青森、横須賀、東京、京都、七飯町、名古屋。

永山が見たかもしれない景色を追う映画と、その景色の意味を考える文章である。

私が特に心を打たれたのは、「無表情の風景」という表現だった。

人はどこで生まれ、どのような家庭で育つかを選べない。そして、失われた日常や奪われた居場所は、簡単には取り戻せない。永山則夫の人生を肯定することはできない。しかし玉川さんは、その人生の背景にあった「風景の無表情さ」を静かに描き出す。

説明しすぎない。

断罪もしない。

感情を煽るわけでもない。

ただ事実を並べ、風景を見つめる。

だからこそ、読む側が考えさせられる。

文章の後半では、玉川さん自身が2001年に企画した「小樽論・1」の話が紹介される。小樽市内を細かく区切り、撮影者の意識を排して撮影した無数の写真を展示したという。その無機質な写真群の中に、かつて住んでいた場所を見つけた観覧者が、「周りの写真がいっせいに動めき出した」と感想を寄せたというくだりも見事だった。

 

風景はただの背景ではない。

そこに暮らした記憶が重なった瞬間、風景は物語になる。

玉川さんの文章は、そのことを教えてくれる。

私は行政の仕事を通じて観光を考える機会が多い。観光とは名所やイベントを紹介することだと思われがちだ。しかし本当に人の心を動かすのは、その土地に刻まれた物語や、人々の記憶と結びついた風景なのではないか。

「風景論」を読みながら、そんなことを考えた。

 

良い文章は知識を与えるだけではない。読んだ後も心の中に残り、自分自身の経験や考えを呼び起こす。

玉川さんの「風景論」は、まさにそんな文章だった。

文章の力を感じた。

 

以下、文字起こし。

風景論

玉川 薫

先日、網走で映画「略称・連続射殺魔」が上映され、短い話をしてきた。

1968年19歳のとき連続射殺事件を起こし、翌年逮捕された永山則夫がたどった各地の風景を映し続ける作品である。

永山則夫は網走市呼人に生まれた。母は幼い兄弟を厳寒の網走に置き去りにした。青森板柳に引き取られてからも極貧の生活で、兄らから日常的に暴力を受けた。

中学を出て各地を転々とするが仕事は長続きせず出奔窃盗を繰り返す。横須賀米軍基地で拳銃を盗み、東京、京都、北海道七飯町、名古屋で警備員、タクシー運転手を殺害した。

映画は永山則夫の網膜に映ったかも知れない風景を執拗に追いかける。背景にフリージャズが流れ、制作者の名も出ず映像は尻切れとんぼのように終わる。1997年突然死刑執行された永山則夫の人生のように。

私は2001年夏に行った企画展「小樽論・1」を思い出した。小樽全図を等間隔で1000個のパーツに分割する。1箇所につき1枚の写真を撮影者の意識を反映させず撮ってもらう。その写真で壁面を埋めつくす。観覧者を戸惑わせた感想が目立つた。「これは小樽ではない」というものもあった。そんななかでただ1通。「無表情な『小樽』の群れ。とりつく島もない。ただ眺めているうちに1枚、確かに記憶にある景色があった。この辺りに住んだことがある。思いだしたとたんに廻りの写真がいっせいにうごめきだした。」

永山則夫が母から真冬の呼人に置き去りにされた日から、生活が奪われた。どこへ逃げても無表情の風景が目に映るだけだった。ありえたかも知れない生活(生きる実感)に気づいたのは、すべてが遅すぎた連続射殺事件容疑者として東京拘置所に収容されてノートに書きはじめた膨大な漢字の書き取りと、その隙間からうめくような「詩」が現れてからである。

後に「無知の涙」と名づけられたそのノートが市立小樽文学館にある。その理由を語るために、網走まで行ったのだった。

*2023年小樽写真研究会会報に寄稿

(前市立小樽文学館長)

 

イコールアース図法

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国連総会は9月4日、世界各地の面積をより正確に表現できる新しい地図「イコールアース図法」の採用を加盟国に促す決議を賛成多数で採択しました。日本を含む164か国が賛成し、米国のみが反対しました。

私たちが学校や地図帳で見慣れた「メルカトル図法」では、高緯度地域が実際より大きく表示されるため、アフリカなど赤道付近の地域が相対的に小さく見える課題があります。一方、イコールアース図法は実際の面積比を正確に反映することを重視しており、アフリカ大陸の広さや世界の地域バランスをより正しく理解できると期待されています。

地図は単なる位置情報ではなく、私たちの世界観にも影響を与えるものです。今回の決議は、世界をより公平な視点で捉えようとする国際社会の新たな取り組みとして注目されています。

 

図書館で借りた本

図書館で借りた本

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からまつ公園でラグビーの練習をした後は、図書館へ。本を返し、新しい本を借りる。

これが、いつもの週末のルーティーン。

そして昨日の土曜日は、湯の花でゆっくりサウナ。たっぷり汗を流して、心も体もリフレッシュできました。

ラグビー、読書、そしてサウナ。

この組み合わせがそろうと、私にとって理想的な週末の完成です。

50歳なのに、人生の時間の90%が終わっている?

なぜ50歳で人生の時間の90%が終わると言われるのか?

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「50歳なのに、人生の時間の90%が終わっている?」
そんな衝撃的な言葉を目にすると驚くかもしれません。しかし、これは実際の寿命の話ではなく、「体感時間」の話です。
この考え方は「ジャネーの法則」と呼ばれ、人は年齢を重ねるほど時間が速く過ぎるように感じるという心理現象を説明しています。


例えば10歳の子どもにとって1年は人生の10分の1ですが、50歳の人にとっては50分の1です。同じ1年でも、子どものほうが長く感じやすいのです。
また、子どもは毎日が新しい体験の連続です。初めての友達、初めての勉強、初めての旅行など、脳に強く記憶される出来事がたくさんあります。一方で大人になると、仕事や生活がルーティン化し、新鮮な刺激が減るため、気づけば「あっという間に1年が終わった」と感じやすくなります。
本のグラフでは、80歳まで生きると仮定した場合、50歳時点で体感時間の約90%を使ったことになると示されています。しかし、これは「人生の残りが少ない」という意味ではありません。
むしろ大切なのは、新しい経験を増やすことです。行ったことのない場所へ行く、新しい趣味を始める、普段読まない本を読む、人との出会いを楽しむ。そんな挑戦が増えるほど、時間は濃くなり、人生は長く豊かに感じられます。
時間は誰にとっても平等ですが、その感じ方は生き方によって変わります。今日を少しだけ新しい一日にすることが、人生をより長く、充実したものにする秘訣なのかもしれません。

ヤミー市 Yummy市

Yummy市

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北運河の夜がもっと楽しくなる!

「北海道ヤミー市 北運河ナイトマーケット2026」を9/19〜26に開催。

27店舗のグルメ、ライトアップ、音楽ライブ、灯籠、謎解きなど魅力満載。小樽の夜ならではの特別な時間をお楽しみください。

#小樽

#北運河

#ヤミー市

#ナイトマーケット

熊が出ない利尻山人気 雑感

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「クマが出ない山だから人気」

そんな新聞記事を見て、なるほどと思うと同時に、思いがけない気づきをもらいました。


利尻山では登山者数が2年連続で1万人を超えたそうです。背景には、北海道各地でヒグマ被害への不安が高まる中、「クマの心配が少ない山」として選ばれていることがあるといいます。
興味深いのは、観光地や登山先が「何があるか」だけでなく、「何がないか」が選ばれる理由になっていることです。豊かな自然や絶景といった魅力を競うだけでなく、安全・安心そのものが価値になっている時代なのだと感じました。
一方で、利尻山は決して気軽な山ではありません。クマがいなくても、厳しい登山道や遭難リスクはあります。

安全へのニーズが高まる今だからこそ、「安心」と「油断」の違いを忘れてはいけない。

そんな学びを与えてくれる記事でした。

小樽市観光開発計画

今朝の道新から

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令和8年8月、小樽市は、祝津地区と天狗山地区の再開発に向け、独自の「市観光開発計画」を策定し、これまで市街化調整区域のため制限されていた宿泊施設の建設を可能にしました。

市内中心部に集中する観光客を周辺エリアへ分散させ、滞在型観光を推進することが狙いです。
計画では、祝津地区のおたる水族館周辺や天狗山の山頂・山麓周辺を開発候補地に設定。宿泊施設のほか、展望施設や飲食・物販施設の整備も想定されています。景観や眺望に配慮し、建物の高さやデザインに一定の基準を設ける方針です。

 

青い池税を巡る総務省の対応に思う

今朝の北海道新聞の記事から。

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美瑛町は、観光客の急増による環境整備や住民負担への対応として、新たな財源確保を模索している。

しかし、地域の実情を最も理解している自治体が制度設計を進めても、国の同意が壁となる。

 

一律の公平性を掲げるあまり、地域ごとの観光公害や行政コストの違いを十分に考慮できないのではないか。

総務省が慎重になることにも、もっともな面はあると思うが、地方創生を掲げるのであれば、地域の実情を最も知る自治体の判断を、もう少し尊重してもよいのではないか。

日常に音楽がある街

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ほろ酔い気分でサンモールを歩いていると、心地よいジャズの音色が聞こえてきました。スタンダードナンバーを中心とした演奏はとても心地よく、しばらく聴いているうちに、いつの間にか足でリズムを刻んでいる自分がいました。何曲か聴いて、投げ銭用のカゴに1000円をそっと投入。

「いい時間をありがとう」という気持ちを込めて。少しでも活動の足しになれば。

 

20代の頃、ヨーロッパを旅しながら、いろいろな街を歩きました。

そこで印象に残っているのが、音楽が人々の日常の中に自然に溶け込んでいたことです。

大きな都市でも、小さな町でも、駅のホームや電車の中、公園や広場の片隅で、誰かが楽器を奏で、誰かが歌っている。

そこには特別なステージも、大がかりなイベントもありません。

ただ、そこに音楽があり、通りかかった人が足を止め、耳を傾ける。

そんな光景が、ごく普通の日常として存在していました。

あのとき見た風景は、今でも鮮明に記憶に残っています。

小樽も、歴史ある街並みや美しい港など、歩いているだけでさまざまな物語を感じられる街です。

そんな小樽の街角から、音楽が聞こえてくる。誰かが演奏し、誰かが足を止め、誰かが笑顔になる。

音楽が「イベント」ではなく、日常の風景の一部として根付いていく。そんな文化が小樽にも少しずつ芽生えていったら、街はもっと楽しく、もっと魅力的になるのではないか。

サンモールで出会ったジャズの音色を聴きながら、そんなことを思いました。

図書館で借りた本

図書館で借りた本

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週末は、図書館で本を借りるのが私のルーティン。

気になった本を手に取り、まずは気軽にページをめくる。心に残った言葉や考え方があれば、少しだけメモを取る。

本から得られるのは知識だけではない。自分にはなかった視点や、新たな発想に出会えることがある。

そんな小さな気づきが、仕事や日常を少し豊かにしてくれる。だから今週末も、自然と図書館へ足が向く。